願信寺について
宗祖
親鸞聖人
宗派
真宗高田派
本山
専修寺
寺号
願信寺
山号
廣澤山
本尊
阿弥陀如来立像
経典
浄土三部経
- 仏説無量寿経(大経)
- 仏説観無量寿経(観経)
- 仏説阿弥陀経(小経)
内陣
教義
阿弥陀如来は、あらゆる者を浄土に救うという大きな誓いをたてられました。そしてわれら凡夫(ぼんぷ)にはこの誓いを信じお念仏を申すことが浄土に生まれる因(たね)になると勧めてくださいます。
慶長3年(1598年)妙理院誓恩法師(寛永19年1642年寂)が両国(現在の東日本橋)に開創。
明暦3年(1657年)の大火にて消失、元禄年間(1688-1703)に現在地、当時の浅草新寺町へ移転し、以来現在の住職にて第十七世。
平成30年11月に総代方並びに檀信徒のご尽力により客殿・庫裡が落成しました。
願信寺は年4回(7日)の法会・檀信徒集会が厳修されます。
3月讃仏会(春彼岸)・7月歓喜会(お盆)・9月讃仏会(秋彼岸)・11月23日親鸞聖人報恩講です。
願信寺本堂・客殿
本尊阿弥陀如来立像
本堂内部
広間
応接室
真宗高田派について
立教改宗の本旨
親鸞聖人は、仏説無量寿経の本義に則り、顕浄土真実教行証文類を著述し、龍樹(りゅうじゅ)、天親(てんじん)、曇鸞(どんらん)、道綽(どうしゃく)、善導(ぜんどう)、源信(げんしん)、源空(げんくう)の七高僧の釈義を承け、正信念佛の教義を大成し、人類救済の真宗を開顕された。
祖師親鸞聖人真影画像
聖徳太子画像・七祖影像
本山十七世无上上院宮絵像
本寺専修寺一光三尊仏絵像
真宗高田派の宗史
宗祖親鸞聖人は、嘉禄2年、下野国芳賀郡高田に一宇を建立されたとき、信濃国善光寺より一光三尊阿弥陀如来を感得して本尊となし、自行化他の根本道場とされた。
これが本山専修寺の起源である。
本山専修寺(せんじゅじ)は、以後歴代相承し、第十世真慧(しんね)上人の代に至って、寺基を伊勢国一身田に移し、宗勢の興隆につとめられた。わが宗において中興上人と崇める所以もここにある。爾来本山専修寺は、全国寺院檀信徒の帰向の中核となり、法運隆昌して今日に至る。
本寺専修寺
(栃木県真岡市高田)
本山専修寺
(三重県津市一身田町)
真宗高田派の宗風
わが宗派は、一味同信の人々の教団である。従って、教団を組織している人々は、ともに同信同行の同朋である。寺院は、自信教人信・自行化他の道場であるから、僧侶は、一意専心その機能の発揮に精進し、檀信徒は、寺院護持発展に努力し、ともに相携えて、正法の弘通に邁進しなければならない。
わが宗派の人々は、報恩謝徳の懇念にもとづき、人道を実践し、世法を遵守するはもとよりのこと、更に進んで、世のため、よき指標となるように心がけなければならない。
真宗は私がどうなる教えか
仏になる修行もできず、その上、煩悩【心身を悩ます一切の欲望・菩提(さとりの反対語)】をおさえるどころかむしろ煩悩にふりまわされっぱなしの私が、お念仏の功徳により、必ずや弥陀の浄土に往生させていただくことができる身の幸せを喜び、常に報恩の思いから、世のため人のために生きることのできる教え。
願信寺の四季
春
秋
冬